2017年11月3日金曜日

レプティス・マグナの考古遺跡 - Archaeological Site of Leptis Magna


旅行記です。

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北アフリカの国、リビア。
今は内戦状態に陥っていますが、その昔、カザフィー政権時代に訪れたことがあります。

滞在した首都トリポリの旧市街の中は、まるでTVゲームのドラクエに出てくる街の様に迷路めいており、散歩はまさにゲームの様でした。

街のつくりで面白かったのは、通りごとに同じ職種のお店が並んでいたことです。
調理道具のお店ばかりの通り、床屋ばかりの通り、パン屋ばかりの通り、などなど。
でも同じ通りにあって実はどのお店も微妙に違っていて、食器や調理道具の通りでは、鍋釜の多い店、食器専門、珈琲器具?専門、修理専門、みたいな感じで少しずつ住み分けしているようでした。冷やかしで覗くのも楽しい。

よく考えると、東京も人形町(着物)、かっぱ橋(調理道具)、秋葉原(電気街)、神保町(本屋街)などでお店が固まっているから、その縮小版みたいな感じでしょうか。
TVゲームの世界だと、武器屋、防具屋、薬屋などが集まって商売している感じ?

店主さん達はいずれもアラビア語だけでなく英語や算数も達者でした。
国民の教育、文化レベルは先進国に勝るとも劣らない印象をうけました。


トリポリ旧市街全景 ドラクエに出てくる街みたいでした ♪


滞在中に世話をして下さった方から「警察から無用の疑いを受けないように街中では写真を撮らないこと」と厳しく注意をうけていたので、残念ながら旧市街の街中の写真は殆どありません。惜しいです。


トリポリにあったカザフィー大佐の公邸、だったと思う


一方、トリポリ郊外(と言っても100km以上はなれたところ)にはローマ時代の壮大な遺跡がいくつかあるのですが、地元の人たち以外に観光客や監視の人は殆どいないため、気兼ねなくスナップ写真を撮ったりしていました。

レプティス・マグナ遺跡の標
世界遺産に登録されたことが記されています

地元のおばちゃん達、井戸端会議っぽかったです

偶然かもしれないけど、物乞いの人もぜんぜん見かけませんでした。
資源の輸出で国が潤っていたからでしょうか。どこかおだやかな雰囲気の国だった、という印象を持っています。


美しい劇場跡 床にはきれいなブロックが敷かれていました


水飲み場かな


柱の彫刻のごちゃごちゃ感がすごかったです。
ロダンの地獄の門が思い出されました(ロダンもインスパイアされた?)


水洗トイレです。鍵穴の様な穴からいたすのですが、下に水が流れている仕組み。衛生的ですね。


画面中央の広場をぐるっと囲むようにトイレが並んでおり、トイレでくつろぎながら広場を眺めていた?

トイレの周辺は公衆浴場の跡地がいくつかあって、なかにはお風呂場の床下にも部屋があったりしました。下から暖めるボイラー室の様な感じ?(煙突がたくさんあった)。
モザイク模様のタイルなどで装飾されているものもありました。

この遺跡はもともととても大きな港町だったようですが、ちょうど港、船溜りがあった場所は、残念ながらほとんど砂に埋もれていました。

街全体が遺跡になっていて、とても1日で全ては見て回れない。


誰かが路地裏から出てきそう

レプティス・マグナ、今でも誰かが住んでいるような錯覚におちいりそうな街の遺跡でした。

トリポリ以外の都市へも行ったのですが、長距離移動には古いフォッカー製の旅客機が大事に使われていました。
乗ってみると、席の頭上に電車の網棚のようなネットがあってそこに手荷物を収めていたのが微笑ましかった ♪
そして飛行機から降りるときには、皆がゆずりあって整然と降りる。
自分も見習わなくては。。。

カザフィー政権が崩壊して以降、良い話が聞こえてこない。
あの街の人達はどうしているのだろう。

追記)
リビアの鉄道はEp I~IIのイタリア領時代にトリポリやベンガジ周辺である程度施設されていたようです。ウィキペディアで調べてみると、当時のトリポリ駅やFIAT製の気動車の写真などを見る事ができます。



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